
2021
スケッチ防府百景



スケッチの目で水田を追いかけると、田植え前線が山間部から平野に下りてくるのかよくわかる。ポンポン山は佐波川下流ほぼ最南端の河口にあり、スケッチに3回訪れてやっと描けた。ポンポン山(地図名 小島)は江戸中期までは島で、毛利藩の政策で干拓が進められ陸続きになった。周辺の広大な開作は、藩の財政を掌握する撫育局(ぶいくきょく)が進めたことから、この地が防長4白(米、塩、紙、蝋)の生産に重要な土地として力を入れたことが伺える。登山口にある撫育局の大きな石碑が目にとまる。(F2号 2021.6.24)

1枚めを終わり帰路方面に進んだところで、わが自治会の西立登りと大平山の重なりが良かったのでまた描くことになった。西立登りの地名は年配の人しか知らない呼び名で、今はセブンイレブンの通りがわかりやすい。絵中央から左にかけてのお宅にはチェーンソーアートの第一人者Hさんの祖父母が住んおられる。我が自治会で唯一の店(セブンイレブン)と美容院が一軒有る西立登りは我が自治会の「町」である。(F2号 2021.6.20)

雨天が少なくて梅雨らしくない梅雨の中休み、風が穏やかな日曜日の午前、水田への映り込みを期待して田島の上地地区を自転車でまわった。上地から北に向かって見える寺開作の道筋と右田ヶ岳。以前にも似たような景色を描いたように思いながら描く。寺開作の地名は毛利藩が進めた干拓時代に国分寺の管轄で開作が行われたという由来で、地区内にお寺は見当たらない。道筋を西に進む道路は飛行場にぶち当たり途絶える。飛行場がなかった時代には、北基地の正門あたりに繋がり西浦に向かう往還だった。(F2号 2021.6.20)

通りに面して空き家で残っていた昭和の家が取り壊された。その家の裏庭に有った大木も切られ、風通しの良い風景が再スタートした感じである。取り壊される前に描いた同じ場所で描いた。 (F4号 2021.6.17)

Y医院から足を伸ばし中関本町へ。元造船所だったお宅の前に車を止めて構図を探していたら、ガラッとドアがあいて、私より年配の元気なおじさんが「何か用かね」と。絵を描かせてもらうことを話すとすぐに納得して、沖の方を見ながら「あのへんが埋め立てられる前は向島がよー見えてきれいなかったいの」と。昔この通りが賑わった話をちょっと持ち出したら自慢げに「遊郭があった」と。車をおいたあたりから逆方向を13年前に描いている。この道の突き当りにヨットマリーナがある。(F2号 2021.6.9)

1月に描いたこの場所を歩いたら水田への映り込みがきれいだった。風が吹き出したら景色が変わるのですぐに描く気になって道具を取 りに帰った。新しい家がどんどん建ってそんな中に存続する貴重な水田。この道を通る人々はこの景色に癒やされているのに気づかない。この田圃が住宅で埋まったときに、それに気づき懐かしむことだろうか。道幅が4m以上ないので新築は当分はないかも。とか思いつつコロナ禍中には、おすすめの屋外活動を愉しむ。(F4号 2021.6.5)

ゆるやかな棚田が人気の久兼まで上がってみた。黄色のガードレールにそって、ほたるの看板がある小川と、右にさかのぼって行くと湯野に通じる県道がある辺りの風景。墓地の駐車場で初蛇に気をつけながら描く。(F2号 2021.6.2)

松原の厳島神社を描いてみようと思いついた。描くなら暑くならない今でしょと10時くらいから出かけた。自転車で5分のところにある氏神様。はじめは大判のスケッチブックに、松林にたたずむ社をイメージしたが、F4号になってしまい窮屈な構図となった。いつかまた佇まいを感じる大きい絵にもう一度チャレンジしたい。広報担当総代の役を授かったおかげで、神社の知識が増幅している。建物の様式は権現造りで左から拝殿、幣殿、本殿とあり本殿の中に宮殿が、そして拝殿の屋根は唐破風と呼ばれる。市内には厳島神社が3箇所ある。(F4号 2021.6.1)

墓参りへ東方へ向かった。富海漁港の食堂へ絵葉書の在庫チェックに向かう。蜜を回避で今日もアウトドア弁当。山陽自動車道富海PA辺りの上の管理道路で食べてスケッチ。国東半島と海面の堺目あたりが、ピンクのベルト状にかすみ珍しかったので描いた。眼下の国道2号線の工事はいつごろ終わるのだろう。田んぼの水の入り具合を気にしながら、富海公民館のところへ下りて牟礼の墓へ向かった。(F2号 2021.5.30)

ナフコに用があったついでに、いつものように気の向くドライブで台道方面を散策してみることに。田んぼの水の入り具合を気にしながら、高手を求めて岩淵地区の田園を北上していたら、山陽自動車道の下に向かう道があり、田植え前の水田があった。くねった芝生の道と廃屋の周りの大藪が映り込んで、その先に準備中の田植え機が見えていい感じだった。遠望の山は大海山。描き終えて自動車道の下の道から防府西高に出てナフコに向かった。(F2号 2021.5.27)

我が地区と東の地区の堺に、子供の頃からあるH宅は空き家になっており、通学路の真上の瓦が崩れ落ちかけていた。家主は他の地区に住んでいて、長年屋根の危険に無頓着だったが、たびたび警察、市役所、自治会が交渉を重ねた結果、やっと解体の運びとなった。決まったら早いもので、この日はトラックが横付けになって家の中のものが出されていた。小学生の頃の風景が残っていた界隈なので絵にして残す気になった。(F4号 2021.5.25)

5月13日、新緑の佐波川を描こうと本橋付近を散策徐行した。美味しいうどん屋のところから河川敷に降りてみた。昔々、本橋がなかったころ、船を川に平行に並べてつくられた船橋が萩往還の一部を担っていた。そのモニュメントが川べりにありガイド板が建てられていた。そこに場所を決め、佐波川の新緑をテーマに描いた。近景の構造物が船橋のモニュメント。時折、霧雨が感じられるようなお天気で矢筈ケ岳も半分雲隠れしていた。(F2号 2021.5.13)

日曜日は関係者以外立入禁止」が解除される築港の砂揚場でコンビニランチのあと描く。(2021.3.8)

我が家近くの小川。つつじが満開で見慣れた光景ながら描きたくなる。以前にも描いた気がする。水路管理用の鉄の橋の上で描く。右の赤い部分は紅葉。ウォーキングの人が見えるとできるだけ点景として描くようにしている。たいてい立ち止まって話しかけられるので「ここに入れさせてもらいました」というと、たいてい喜ばれる。そして「ええ趣味ですね。永う描きよっての?」といった質問にたいていなる。年配の女性と、この日もそうだった。(F2号 2021.4.30)

サークルを向島・郷ケ崎で開いた。厳島神社の参道に古くからの蒲鉾屋(松冨蒲鉾)があり、軒の低い昭和の旧家なども町並みを形作っている。この蒲鉾屋には「鶴瓶の家族に乾杯」で鶴瓶も訪れている。何年か前に訳あり伊達巻を買って帰ったらとても美味しかった。サークル参加者はコロナもあって9名だった。マスクはマストで、集合時はディスタンスをとることを守って2時間のサークルを楽しむ。 描くときは完全ディスタンスなので、屋外スケッチはコロナ禍での楽しみ方にお勧めかもしれない。(F4号 2021.4.24)